アルコールを抜いても、儀式は残る――40年以上前のノンアル・パスティス"Pacific"
日本でノンアルコールの歴史を語るとき、起点としてよく挙がるのは2009年の「キリン フリー」だ。アルコール分0.00%のビールテイスト飲料が、今につながる市場を開いた。
ただ、海外に目を向けると、もっと早い時期に「酒の会社がつくったノンアルコール」が生まれている。
1982年のフランス。パスティスのメーカーが、アルコールを含まないパスティスを世に出した。名前は"Pacific"(パシフィック)。キリン フリーより27年早い。
なぜパスティスの会社が、アルコールを抜いた商品をつくったのか。そして、何を抜いて、何を残したのか。そこには、いまノンアルコールを扱う飲食店にとっても示唆がある。

パスティスという酒
パスティスは、アニスやリコリスなどで香りづけした、フランス南部を代表する食前酒だ。
その誕生には、ある酒の禁止が関わっている。19世紀のフランスで大流行したアブサンは、健康への害が問題視され、1915年に禁止された。その後、アブサンに代わるアニス系の酒が、度数の制限つきで認められるようになる。
1932年、マルセイユのポール・リカールが自らの名を冠したパスティス「リカール」を世に出した。ラベルには "le vrai pastis de Marseille"(本物のマルセイユのパスティス)と書かれていた。
パスティスには、独特の飲み方がある。そのままでは飲まず、グラスに注いでから冷たい水で割る。目安は酒1に対して水5ほど。水を加えると、透明だった液体が白く濁る。アニスの香り成分が、水の中で溶けきれなくなるためだ。
南仏では、昼下がりや夕方のテラスで、この白く濁ったグラスを傾けるのが日常の風景になっている。パスティスは酒であると同時に、「食事の前のひととき」を形にした飲み物でもある。
1982年、パシフィックの誕生
1975年、リカールは同じアニス系の酒のメーカーであるペルノと合併し、ペルノ・リカールとなった。
その7年後の1982年に生まれたのが、パシフィックである。ペルノ・リカールのフランス法人は、パシフィックを「リカールの50周年を記念して1982年に生まれた、アルコールを含まないアニス系飲料のブランド」と説明している。
中身は、地中海と中国の植物から選んだアニスなどのエキスでできている。レシピは公開されていない。アルコールも砂糖も含まず、カロリーはゼロだ。
そして飲み方は、パスティスとまったく同じだ。公式の説明は「パシフィック1に対して、冷たい水を5」。
同じ時代、何が起きていたか
パシフィックの誕生について、ペルノ・リカールが挙げている理由は「リカールの50周年」だけだ。飲酒運転対策や健康への配慮を開発の理由として説明した資料は、確認できなかった。
ただ、同じ時代の空気を並べてみることはできる。
フランスでは1970年代から80年代にかけて、飲酒運転への規制が段階的に強まっていた。1978年の法律で、違反がなくても飲酒検問ができるようになった。1983年の法律では、血中アルコール濃度0.80g/L以上での運転が刑事罰の対象と定められた。
隣国の西ドイツでは、1979年にノンアルコールビール「クラウスターラー」が発売されている。最初のノンアルコールビールではないが、全国規模で大々的に宣伝された初めてのノンアルコールビールのブランドだった。
アルコールを含まない「酒の代わり」が、欧州で一つの商品として表に出てきた時期。パシフィックの誕生は、そうした時代と重なっている。
抜いたもの、残したもの
パシフィックが面白いのは、何を抜いて、何を残したかがはっきりしている点だ。
抜いたのは、アルコールと砂糖。
残したのは、アニスの香り。そして、冷たい水で割って飲むという飲み方だ。
パスティスを飲むときの手順と時間を、そのまま残した。グラスに注ぎ、水を足し、食事の前にゆっくり飲む。アルコールが入っていなくても、その儀式は同じように成り立つ。
現在の公式の商品説明には、"à boire librement et sans modération"(自由に、節度など気にせずに飲める)という一文がある。フランスでは、酒の広告に "à consommer avec modération"(節度を持って楽しみましょう)という文言を添えるのが慣例になっているパシフィックの説明は、その決まり文句を裏返している。
40年後の位置づけ
パシフィックは現在もフランスで売られ、ペルノ・リカールは「アニス系ノンアルコールのリーダー」と位置づけている。
そしてペルノ・リカールは、いまもパシフィックを自社のノンアルコールの起点として語っている。2024年、ジンのビーフィーターからアルコールゼロの「Beefeater 0.0%」を発表した際、同社は自らを「1982年のパシフィック発売以来の、このセグメントのパイオニア」と表現した。
現在、同社の公式サイトのブランド一覧には、ノンアルコールとして9つの商品が並ぶ。Beefeater 0.0%やLillet Blanc 0%といった新しい顔ぶれの中に、いまもPacific 0%の名前がある。
(参考:[決算書から見る、世界の酒類メーカー|ペルノ・リカール編])
ノンアルコールを「続く商品」にするもの
ノンアルコールの商品開発や、飲食店のメニューづくりでは、「どれだけ本物の味に近づけるか」が話題の中心になりやすい。
パシフィックが40年以上続いてきたことは、もう一つの視点を示している。味だけでなく、飲み方を残すことだ。
パスティスを飲む人にとって大事なのは、アニスの香りだけではない。水を注いで白く変わるグラス、食事の前の時間、テラスの空気。パシフィックは、その「飲む場面」ごと、アルコールのない形で差し出した。
飲食店がノンアルコールをメニューに加えるときにも、同じことが言える。どんなグラスで出すか。食前か、食中か。その店の酒を飲むときと同じ手順や時間を、ノンアルコールでも用意できるか。
アルコールを抜いても、儀式は残せる。1982年のマルセイユの小さなボトルは、そのことを40年以上かけて示し続けている。




