訪日客に約1000万人規模の「飲まない市場」——インバウンドのドリンク戦略を考える
2025年、日本を訪れた外国人旅行者は4268万人に達し、過去最高を更新した。飲食店やホテルにとって、インバウンドはもはや無視できない顧客層だ。
インバウンド向けの施策というと、日本酒の飲み比べや、クラフトビール、ウイスキーといった「日本のお酒」が話題になりやすい。しかし、訪日客のかなりの割合は、そもそもお酒を飲まない。
本記事では、公開されている統計をもとに、訪日客の中の「飲まない市場」の規模を推計する。そのうえで、その市場が一枚岩ではないこと、そして層によって届けるべき価値が違うことを整理していく。

訪日客のうち、飲まない人はどのくらいいるか
まず、規模をつかむための推計を行う。
使うのは二つの統計だ。一つは、日本政府観光局(JNTO)が公表している、2025年の国・地域別の訪日客数。もう一つは、世界保健機関(WHO)による、各国の15歳以上で「過去12か月にお酒を飲まなかった人」の割合だ(2020年、年齢調整済み、公開されている最新の推計)。
この二つを掛け合わせると、各市場から来た訪日客のうち、飲まない人の数を推計できる。対象は、WHOとJNTOのデータを国単位で対応させられる主要13市場で、訪日客全体の約7割にあたる2926万人。
市場 | 訪日客数 | 飲まない人の割合(WHO推計の下限) | 推計人数 |
中国 | 909.6万人 | 34.5% | 約314万人 |
韓国 | 946.0万人 | 26.1% | 約247万人 |
米国 | 330.7万人 | 27.3% | 約90万人 |
タイ | 123.3万人 | 46.4% | 約57万人 |
インドネシア | 64.1万人 | 87.4% | 約56万人 |
マレーシア | 63.7万人 | 79.7% | 約51万人 |
フィリピン | 88.5万人 | 51.0% | 約45万人 |
ベトナム | 67.9万人 | 43.5% | 約30万人 |
シンガポール | 72.6万人 | 32.8% | 約24万人 |
インド | 31.5万人 | 67.7% | 約21万人 |
カナダ | 68.8万人 | 29.3% | 約20万人 |
豪州 | 105.8万人 | 17.9% | 約19万人 |
英国 | 53.5万人 | 21.0% | 約11万人 |
メキシコ | 20.0万人 | 54.1% | 約11万人 |
フランス | 45.8万人 | 22.8% | 約10万人 |
ドイツ | 43.0万人 | 20.0% | 約9万人 |
イタリア | 30.9万人 | 25.4% | 約8万人 |
ロシア | 19.5万人 | 39.5% | 約8万人 |
スペイン | 24.6万人 | 22.2% | 約5万人 |
合計 | 3110万人 | 約1036万人 |
出典:JNTO「訪日外客数(2025年12月推計値)」、WHO Global Health Observatoryをもとに推計
結果は約1036万人。対象とした19市場から来た訪日客の、およそ3人に1人にあたる。
この推計には、いくつかの前提がある。
過大な推計を避けるため、WHO推計の幅のうち、もっとも低い値(信頼区間の下限)を機械的に用いた。ただしWHOの数字は各国の15歳以上の人口全体についてのもので、日本を訪れる旅行者とは年齢、所得、旅行目的などの構成が異なる。そのため、この下限値は、訪日客の「飲まない人の割合」の統計的な下限を意味するものではない。
また、WHOの数字は15歳以上が対象だが、訪日客数には全年齢が含まれる。日本では20歳未満の飲酒が禁じられているため、10代の訪日客は日本滞在中、実質的にみな「飲まない客」になる。訪日客数は延べ人数で、同じ人が何度来てもその都度数えられている。
台湾と香港は、WHOのデータで独立した数字を取得できないため除いた。中東は、JNTOが複数の国をまとめた地域として集計しているため、一つの国の数字を当てはめられず、これも除いている。
ここで示すのは、あくまで規模感をつかむための推計である。
「飲まない訪日客」は誰か
推計から見えてくるのは、意外な構図だ。
飲まない訪日客というと、ムスリムの多い国からの旅行者を思い浮かべる人が多いかもしれない。たしかに割合で見ると、インドネシアでは9割近く、マレーシアでは8割近くが飲まない。
しかし人数で見ると、もっとも多いのは中国(約314万人)と韓国(約247万人)だ。中国では15歳以上の3人に1人以上が、過去1年にお酒を飲んでいない。タイやフィリピン、ベトナムでも4〜5割にのぼる。
米国でも変化が続いている。米ギャラップ社の2026年の調査では、「お酒を飲む」と答えた成人は54%で、2年連続で過去最低の水準となった。18〜34歳では50%にとどまる。さらに、17%が「アルコール飲料の代わりにノンアルコール飲料を選んだことがある」と答えている。お酒を飲む人に限っても、その割合は20%だ。
つまり「飲まない訪日客」には、少なくとも三つの層がいる。
宗教上の理由で飲まない人
健康を意識して飲まない人、飲む量を減らしている人
もともとお酒を飲む習慣がない人、好まない人
飲まない人の割合が高い市場の中には、いま訪日客が急増している国も少なくない。2025年の前年比は、中東地域が+54.7%、インドが+35.2%、マレーシアが+25.6%、インドネシアが+23.8%だった。
落とし穴:ノンアルコールビール=ムスリム対応、ではない
飲まない客への対応として、まず思い浮かぶのはノンアルコールビールやノンアルコールワインだろう。健康を意識して飲まない人や、お酒の味は好きだけれど今日は飲まない人には、有効な選択肢になる。
ただし、ムスリムのゲストに対しては事情が異なる。
インドネシアのハラール認証を担うインドネシア・ウラマー評議会(MUI)の審査機関は、「0%ビール」はハラール認証の対象にならないと説明している。
理由は名称だ。
2003年のファトワ(イスラム法学者による見解)は、禁じられたものを連想させる名称の使用を認めていない。「ビール」という名称そのものが、イスラムで禁じられた酒(ハムル)を思わせるため、アルコールが含まれていなくても認証されない。
マレーシアでも2017年、政府が「ビール」などハラームと結びつく名称の製品はハラール認証の対象にならないと説明している。
さらに、アルコールの由来についても別の基準がある。2018年のファトワは、酒に由来するエタノールを使うことを認めていない。一方、酒に由来しない飲料については、最終製品のアルコール分が0.5%未満であれば、条件付きで許容されている。
なお、認証を受けられないことと、宗教上禁じられていると判断されることは、必ずしも同じではない。実際にどこまで避けるかは、個人によっても、地域によっても異なる。
それでも、ホテルや飲食店が押さえておきたいのは次の点だ。「ビール」や「ワイン」を名乗るノンアルコール飲料は、ムスリムのゲストにとって選びにくい場合がある。お茶やボタニカル飲料、クラフトソーダなど、お酒を参照しない飲み物のほうが、酒類の名称や酒由来という論点を避けやすい。もちろん、原材料や香料などについては、それぞれ別に確認が必要になる。
観光庁の「ムスリム旅行者おもてなしガイド」(2024年)は、みりんや調味料に含まれるアルコールへの注意を促している。一方、ノンアルコール飲料の扱いについては触れていない。現場の判断に委ねられている領域だ。
1回の食事で、どれだけの差が生まれうるか
では、この「飲まない市場」は、飲食店やホテルにとってどれほどの規模なのか。
訪日客について、飲む人と飲まない人を分けて飲食費を集計した公的な統計はない。そこで、国内の居酒屋でのデータを手がかりに試算する。
ぐるなびが2014〜2023年に行った飲料トレンド調査によると、飲酒を伴う外食1回あたりの平均注文杯数は、アルコールが約3杯、ソフトドリンクが約1.5杯だった。これに大手居酒屋チェーン6社の平均単価を掛けると、1回の外食でのドリンク代は次のようになる。
アルコールを飲む人:約3杯×約523円=約1570円
ソフトドリンクのみの人:約1.5杯×約388円=約580円
その差は約990円だ。
仮に、先ほど推計した約985万人全員が、日本の居酒屋と同じ条件で1回ずつ食事をしたとする。すると、ドリンク支出の差は約98億円になる。
もちろんこれは、実際の訪日客の注文行動を示す数字ではない。飲まない客と飲む客のあいだに、どれだけの単価差が生まれうるかを見るための試算だ。ホテルや高価格帯の飲食店では、ドリンクの単価はもっと高い。滞在中の食事の回数を考えれば、差はさらに大きくなる。
この差のすべてを取り戻せるわけではない。ただ、その一部には、「価格を払ってでも選びたい」と思えるノンアルコールの選択肢が足りないことによる取りこぼしが含まれている可能性がある。米国では、お酒を飲む人の5人に1人が、すでにノンアルコール飲料に置き換えた経験を持っている。選択肢があれば、選ぶ人は確実にいる。
飲まない客に、何を届けるか
飲まない市場が一枚岩ではない以上、対応も一つではない。
健康や好みで飲まない層には、「お酒と同じ体験」を。お酒を飲まないだけで、食事と飲み物を一緒に楽しみたい気持ちは変わらない。ノンアルコールのビールやワイン、ノンアルコールのカクテル、料理に合わせたノンアルコールのペアリング。お酒を飲む人と同じテーブルで、同じ時間を楽しめる選択肢が価値になる。
ムスリムのゲストには、「お酒を参照しない価値」を。お酒の名前を名乗らない飲み物の中から、それ自体が魅力的なものを用意する。日本茶やほうじ茶、和の柑橘やハーブを使ったボタニカル飲料、季節の素材を使ったクラフトソーダ。お酒の代わりではなく、その店、その土地ならではの一杯として出せるものだ。
どの層にも共通するのは、伝え方。原材料とアルコール分をメニューに明記する。ムスリム向けの案内では、"beer" や "wine" といった名称を避ける。朝食、ラウンジ、宴会の乾杯、ルームサービスと、場面ごとに選択肢を用意する。こうした設計が、飲まない客の「選べなさ」を減らしていく。
「飲まない」を、取りこぼさない
インバウンド需要の拡大は、「日本のお酒を売る」チャンスとして語られることが多い。しかし推計によれば、主要13市場から来た訪日客の3人に1人は、そもそもお酒を飲まない。その数は1000万人規模にのぼる。
その人たちは、ドリンクにお金を使わない客とは限らない。使いたくなるものがまだ十分に用意されていない客でもある。
宗教上の理由で飲まない人、健康のために飲まない人、もともと飲まない人。それぞれに届けるべき価値を設計できたとき、「飲まない市場」は取りこぼしから、新しい売上に変わる。
Alt Alcでは、ホテルや飲食店に向けて、ノンアルコールの品揃えの設計やメニュー開発、ペアリングの提案を行っています。インバウンドのゲストに向けたドリンクの設計について、お気軽にご相談ください。
参考資料




