WHOが掲げた"飲酒10%削減"は、どうなったのか
2025年は、ある国際目標の期限の年だった。
世界保健機関(WHO)が掲げた「有害な飲酒を10%削減する」という目標である。2013年に設定され、2010年を基準年として、2025年までの達成を目指していた。
この目標は、公衆衛生の世界だけの話ではない。酒類メーカー自身がこれを支援する形で自社の目標を掲げ、ノンアルコール製品への投資を進めてきた経緯がある。
つまり、いま私たちが目にしているノンアルコール飲料の広がりは、この国際目標と地続きのところにある。
では、期限を迎えて何が起きたのか。答えは、単純ではなかった。

そもそも、何を目指した目標だったのか
この目標は、WHOのNCD(非感染性疾患)対策の枠組みの中で設定された。2011年に190カ国以上が合意した「NCDの予防と管理に関する世界行動計画」の一部である。
計画全体の狙いは、NCDによる早期死亡を2025年までに25%減らすこと。そのために九つの自主目標が設定され、そのうちの一つが飲酒に関するものだった。
正確な表現はこうだ。「各国の状況に応じて、有害な飲酒を少なくとも10%相対的に削減する」。
進捗を測る指標は三つある。
15歳以上の成人一人あたりの年間アルコール消費量(純アルコール換算リットル)。
多量飲酒(heavy episodic drinking)の年齢調整済み有病率。
飲酒に関連する疾病と死亡である。
ここで押さえておきたいのは「有害な飲酒」という言葉だ。すべての飲酒をなくすという話ではない。交通事故や疾病、胎児への影響といった害をもたらす飲み方を減らす、という設計になっている。
答え——達成されないまま、期限は延長された
結論から言えば、この目標は達成されないまま2025年を迎えた。
そしてWHOは、目標を国連の持続可能な開発目標(SDGs)に合わせる形で、2030年まで延長した。しかも新しい目標値は「20%削減」に引き上げられている。
10%を達成できないまま、20%を目指すことになったわけである。
未達は、早い段階から予測されていた。
2020年、WHOの学術誌"Bulletin of the World Health Organization"に掲載された論考は、率直にこう述べている。加盟国がこの目標を達成する可能性は低い、と。当時の研究者の予測では、世界の成人一人あたり消費量は2017年の6.5リットルから2030年には7.6リットルへ、むしろ17%増えるとされていた。
WHO自身も、2024年に公表した『アルコールと健康および物質使用障害の治療に関する世界状況報告書』の中で、「いま行動を加速しなければ、SDG目標3.5に向けた大きな前進は望めない」と記している。
そして2025年に発表されたShieldらの研究は、新しい2030年の20%削減目標についても、ほとんどの国が達成しないだろうと結論づけた。
地域によって、まったく違う風景が見える
ただし「達成できなかった」の一言では、実態を捉えきれない。地域差が極端に大きいからだ。
ヨーロッパは、前倒しで達成していた。
2020年に発表された研究によれば、WHOヨーロッパ地域の成人一人あたり消費量は、2010年から2017年の間に12.4%減少した。目標の10%を、期限の8年前にクリアしていたことになる。
ただし内訳を見ると、様相が変わる。EU28カ国は2.4%減とほぼ横ばい。一方、東欧地域は26.2%減という大幅な下落を示した。つまり地域全体の数字は、東欧の急激な減少に押し下げられたものだった。
さらに、多量飲酒の割合はほとんど改善していない。消費量の平均は下がったが、飲み方の問題は残ったままだった。
サハラ以南アフリカでは、明暗が分かれた。
2026年に発表された研究によれば、45カ国のうち15カ国が10%以上の削減を達成し、中には25%を超える削減を実現した国もあった。
一方で、20カ国では逆に消費量が増加している。エチオピア、セーシェル、コモロで特に大きな増加が見られた。
同じ目標に向かって、真逆の方向に動いている国々がある。それが実態だった。
日本は、平均では達成し、中身では達成していない。
では日本はどうか。消費量だけを見れば、目標は十分に達成されている。
国税庁の統計によれば、成人一人あたりの酒類消費量は1992年度の101.8リットルをピークに減少を続け、2019年度には78.2リットルとなった。ピーク時から約23%減である。飲酒する人の割合も下がっており、
厚生労働省の国民健康・栄養調査では、月1日以上飲酒する人の割合が2010年の男性68.4%・女性34.5%から、2019年には男性62.0%・女性29.8%へと低下している。
ところが、飲み方の中身を見ると景色が変わる。
同じ調査で、飲酒習慣のある人(週3日以上、1日1合以上)の割合は、男性が35.4%から33.9%へわずかに下がった一方、女性は6.9%から8.8%へと上昇した。
生活習慣病のリスクを高める量を飲む人の割合も、2023年時点で男性14.1%、女性9.5%となっており、女性は有意な増加傾向にあるとされる。
そしてOECDは2015年の報告で、日本では「最も飲酒が多い20%の人々が、全アルコール消費量の70%近くを消費している」と指摘している。
平均は下がった。飲む人の数も減った。だが、多く飲む人は多く飲み続けている。日本は、WHOが掲げた目標の達成状況を測る指標が、いかに実態を捉えきれないかを示す典型例だと言える。
同じ数字を見て、正反対の評価が出る
もう一つ興味深いのは、評価が立場によって割れていることだ。
公衆衛生の研究者たちは、一貫して厳しい見方を示してきた。前述の通り、2020年の時点で「達成の可能性は低い」とされ、2025年の研究も新目標について悲観的な結論を出している。
一方、業界団体である国際責任飲酒同盟(IARD)は2025年9月、同じWHOのデータを引きながら、まったく異なる評価を発表した。同団体のCEOはこう述べている。この報告書は、有害な飲酒を減らす世界的な取り組みが機能していることを示している。WHOのデータは、世界が2030年までの一人あたり20%削減目標の達成に向かっていることを裏づけている、と。
同じデータを見て、一方は「達成できない」と言い、一方は「順調だ」と言う。
背景には、何を重視するかの違いがある。IARDは「適度な飲酒は問題ではなく、有害な飲酒こそが根本原因だ」という立場を明確にしており、そこに焦点を当てる国連の戦略が機能していると評価する。
一方、公衆衛生の研究者が重く見るのは、改善のペースだ。飲酒による被害は、確かに減ってはいる。WHOの推計では、飲酒に起因する死者は2016年の約300万人から2019年には260万人へ減少し、全死亡に占める割合も2010年の5.6%から2016年には5.3%へと下がった。
だが問題は、その減り方である。Lancet Public Healthに掲載された研究によれば、2000年から2016年にかけて飲酒関連の年齢調整死亡率は17.9%減少した。
しかし同じ期間、あらゆる原因を含む全体の死亡率は23.7%減っている。医療の進歩や公衆衛生の改善によって世界全体の健康が良くなる中で、飲酒による被害だけが相対的に取り残されている、という構図だ。
障害を含めて見ると、さらに厳しい。飲酒に起因するDALYs(障害調整生命年)が全体に占める割合は、2010年も2016年も5.1%でほとんど変わっていない。死者は減っても、病気や障害を抱えて生きる負担は、ほぼそのまま残っている。
指標そのものに、限界がある
なぜ、こうも評価が分かれるのか。
一つには、指標の設計に構造的な限界があるからだ。
最も広く使われる「一人あたり消費量」という指標は、飲まない人が多い国では低く出る。しかし数字が低いことと、飲酒による被害が少ないことは、必ずしも一致しない。
サハラ以南アフリカを分析した研究は、この点を明確に指摘している。多くの国で一人あたり消費量が低く見えるのは、成人の大半が飲まないからだ。実際に飲む人々は非常に多く飲んでおり、その集団が被害の大部分を生んでいる。平均値は、その実態を覆い隠してしまう。
同じことは、消費量が減った国にも言える。ヨーロッパで消費量が下がっても、飲酒に関連する疾病や死亡はすぐには減らない。飲酒とがんの発症の間には長い時間差があるからだ。数字の改善が、健康被害の減少として現れるまでには、時間がかかる。
つまり「10%減った/減らなかった」という議論の土台そのものが、実態を正確に映すには粗すぎる可能性がある。
飲料業界の目標も、同じ結末を迎えた
この目標は、飲料業界の行動とも無関係ではなかった。
世界最大のビール会社AB InBevは2015年、WHOの目標を支援する形で、独自の数値目標を掲げた。
2025年末までに、自社が世界で販売するビールの20%以上を、ノンアルコール(0.0〜0.5%ABV)または低アルコール(0.51〜3.5%ABV)にする、というものである。
結果は6.2%だった。同社は2025年の年次報告書で、この野心を完全には達成できなかったと自ら記している(詳しくは「決算書から見る、世界の酒類メーカー|AB InBev編」を参照)。
国際機関も、企業も、10年前に置いた数字には届かなかった。
それでも、変わったこと
数字だけを追えば、これは失敗の記録に見える。10%が20%になり、2025年が2030年になった。目標は達成されないまま、看板が掛け替えられた。
だが、この10年で確かに変わったこともある。
2015年当時、ノンアルコールビールは「飲めない人のための代替品」という位置づけだった。いまは、世界最大のビール会社がオリンピックのスポンサー枠をノンアルコールブランドで取り、ノンアルコール専用の醸造所が建てられ、飲食店の生ビールサーバーにノンアルコールが並ぶようになった。
「飲まない」という選択が、我慢ではなく選択肢として語られるようになった。それは統計には表れにくいが、確実な変化である。
次の5年で、目標はどこまで動くのか。そして、目標を測る指標そのものが、実態を捉えられるものへと更新されていくのか。問われているのは、おそらくその両方だ。




