チリワインと言われると、自転車かアルパカか天使、そのうちのいずれかを思い浮かべる人がほとんどだろう。
しかし、チリワインもそのように十把一絡げにできるものではない。
2004年にはベルリン・ワイン・テイスティングでフランス、イタリアのワインを抑え、チリワインが1位、2位を飾るという快挙を成し遂げており、世界にも通用する高級ワインを生み出す産地でもあることは誰しもが認めるところである。
そのように早い時期からプレミアムレンジが出てきていたにもかかわらず、日本においてはいまだに「チリワイン=安ワイン」という認識が一般的である。
チリワイン市場という日本における成熟した市場から考えると、プレミアムレンジを通じての脱成熟を図るための新たな差別化・マーケティング戦略は非常に重要であり、他の市場を考えるに当たっても非常に有用なケーススタディとなると思われる。
今回は、プレミアムチリがなぜ日本で普及しないのか?、その理由を考えてみたいと思う。
ひとまず、チリワインに関する現状把握から進めていく。
チリワイン概要
まずはチリワインそのものの基本を押さえておく。
チリワイン産業は、非常に世界に開けており、総生産量のうち7割が海外で飲まれている。
そのため、ワイン生産量は世界8位であるが、輸出量は5位で毎年150ヵ国以上に運ばれ、15億人以上の人々に飲まれている。
チリワインの歴史は、大きく分けると三つのフェーズに分けることができる。
80年代はテクノロジーの革新による大幅な品質向上の時期、90年代の輸出量が増大時期、そして2000年代のテロワールの表現の時期である。
1999年までは、単一品種によるシンプルヴァラエタルが主だったが、同年のアメリカ、日本市場での需要激減、欧州市場での競争激化を背景に、今日ではプレミアムチリと形容される新しいチリワイン造りが始まった。
日本におけるチリワイン概要
日本では、1989年頃から現在エノテカ株式会社が輸入するモンテスが、そして94年に株式会社スマイルによってコノスル、同年にメルシャンによってコンチャ・イ・トロ(以前にはサントリーホールディングス株式会社が取扱い)、2012年にアサヒビール株式会社アルパカの輸入がスタートした。
特に2007年に日本₋チリ間でEPAが締結されると、チリワインへの関税が段階的に軽減、最終的に完全撤廃されるということで大きなカンフル剤となった。
その後、急激に輸入量を伸ばし、2015年にはそれまで不動の一位であったフランスを抜き去った。
直近2018年のワイン輸入量を見ると、チリワインは二位のフランスワインに100万ケース(1200万本)以上の差をつけている。
しかし、一方で金額ベースで見ていくと、チリワインのCIF価格(港到着時の価格)は316円/ℓであり、これは輸入量二位のフランス1077円/ℓの三分の一、同三位イタリアの558円/ℓのおよそ二分の一となっている。
実際に、日本に入ってくるチリワインの9割ほどが市場価格500円~700円で取引されるものである。
日本におけるチリワイン成功の要因
上記のような、日本におけるチリワインの成功の要因として、一般社団法人ラテンアメリカ協会は四つ挙げている。
チリワインの親しみやすさ
輸入関税の低さと撤廃の見通し
ヴィンテージ差が少なく、病気にも強い環境
日本の消費者動向への適切な対応
►1.チリワインの親しみやすさ
上述のように、シンプルヴァラエタルであるため、品種で判断できる購入時点の容易さや、それまでの旧世界のワインと異なり、抜栓後すぐに楽しめるチリワインの親しみやすさがワインへの敷居を下げ、多くの消費者の購入を可能にした。
►2.輸入関税の低さと撤廃の見通し
EPA締結により、関税が段階的に低くなり、将来的に撤廃されることがわかっていたため、輸入業者もチリワインに力を入れやすかった。
また、そのような安い価格の正当性が「安かろう悪かろう」という消費者心理を妨げ、購買を後押しした。
►3.ヴィンテージ差が少なく、病気にも強い環境
安価なチリワインの生産地であるセントラルヴァレーは、海岸山脈とアンデス山脈に囲まれた土地であり、広い土地と十分な日照量が確保できるため、旧世界のようなヴィンテージ差が少なく、安定したブドウの供給が可能となる。
さらに、19世紀欧州地域で猛威を振るったフィロセキセラからも無縁で病気の心配も少なかった。
►4.日本の消費者動向への適切な対応
バブル崩壊後、これまでの外飲み需要から家飲み需要に転じ、さらに98年にはポリフェノールの健康効果が喧伝され、酒屋でなくスーパーやコンビニなどで手軽に購入できるカジュアルワインへの需要が伸びた。
そのカジュアルワイン枠にうまくはまったのがチリワインであった。
こうした背景の中、チリワインは人々の生活に寄りそうリーズナブルなワインの地位を獲得した。しかし、チリワインがさらに大きく伸長するにはこれまでのリーズナブルレンジだけでないところを見せていく必要がある。
広まらぬプレミアムチリへの仮説
ということで、ようやく本題のプレミアムチリがなぜ普及しないのかについて考える。
普及を妨げる要因について、二つの仮説を立ててみる。
日本におけるワイン市場の早い段階において、チリワインが安価なワインとして登場してしまったため、チリワインが安ワインの代名詞となってしまった
欧州地域のような厳格な法規制の不在が安価なチリワインとプレミアムチリを差別化を難しくしてしまった
この二つが、欧米地域では認められているチリワインの多様性を阻害する要因となっている日本固有の原因ではないかと考えられる。
つまり、バブル期を通じてステイタスシンボルのように楽しまれたフランスワインや、それに伍すると考えられたイタリアワインが主流であった時代は、ワインとはまだまだ敷居が高く安易に近づけない存在であった。
しかし、欧州の伝統とは一見かかわりのないチリワインが登場し、奇しくも同時期に急激に数を伸ばしていったコンビニエンスストア(80年代末から90年代で急増した)や大手スーパーマーケットにチリワインが並ぶつれて、一般消費者はより身近にワインを楽しむことができるようになった。
そのような一般消費者とワイン文化の橋渡しの一役を買ったチリワインは、親しみやすさゆえに身近なワイン=安いワインの代名詞となってしまった。
そして、いったん安いワインという認識が定着すると、ブルゴーニュのように畑ごとに格付けがされているわけでも、スペインワインのように熟成期間などで区別がされているわけでもないチリワインはプレミアムレンジへの脱皮を図ることが難しくなってしまったのではないか、という仮説である。
海外事例から見る仮説検証
この仮説において、仮説1と仮説2を分けて考えることは不可能である。
ここからは、海外の事例として、チリワインの最重要輸出相手国でもあり、プレミアムチリが根付いているアメリカにおけるチリワインの立場を踏まえながら検討していく。
二つの仮説のうち、仮説1は日本独自の問題であるが、海外においても安価な価格で取引されるチリワインが、なぜ安いワインの代名詞とならず、多様性が受け入れられる土壌が醸成されたかを考える。
仮説2については、チリワインが内包する問題である。
チリワイン同様、旧世界のようなヒエラルキーを構成しうるワイン法を持たないカリフォルニアワインについてふまえながら考える。
►仮説1:日本におけるワイン市場の早い段階において、チリワインが安価なワインとして登場してしまったため、チリワインが安ワインの代名詞となってしまった
この仮説で重要なポイントは、ワイン市場ができた早い段階(さらに言うと、低価格市場が構成される前)でチリワインが安価なワインとしてのポジショニングを成功させてしまったという点である。
上記は、アメリカにおける輸入ワインの販売額・平均価格などを示したものである。
ここで見るべきは、チリワインの価格である。ボトル一本当たりのチリワインの価格は5.59ドルであり、一方フランスワインは12.76ドル/本、イタリアワインは9.34ドル/本。
つまり、チリワインに対してフランスワインは2.28倍、イタリアワインは1.67倍。
先に見た日本における、チリワインの価格ほどではないが、十分に安価であることが確認できる。
しかし、上図をみるとチリワインよりも多くの量が輸入されており、なおかつ安価なものとしてオーストラリアワインが存在し、そして何より自国がワイン生産国であるという強みがある。
以上から、ただ比較的に安価なワインが多いということが、その国のワインの多様性を損なうものではなく、消費国におけるその国のワインのポジショニングがその後の可能性を決定づける大きな要因になっていることがうかがえる。
►仮説2:欧州地域のような厳格な法規制の不在が安価なチリワインとプレミアムチリを差別化を難しくしてしまった
ことワイン法については、旧世界はヒエラルキー構築するような厳格な規制が存在するものの、それと比較すると新世界のワイン法は、格付けなどのないより自由度の高い規制となっている。
しかし、ナパやソノマは言うに及ばず、数年前に大きな動きとなったニューカリフォルニアのトレンドなど、欧州のような厳格な法規制がなくともプレミアムレンジとして認められることはできない話ではない。
つまり問題は、差別化を促す法規制の不在ではなく、先に安いワインの代名詞と化してしまったチリワインを引き上げるための明確な差別化の方法を(法規制を含めて)見いだせずにいること、それこそが厳然と存在するプレミアムチリが普及しない要因ではないかと考えられる。
次回は、ではいかにプレミアムチリを普及させていくかについて考えていきたい。
参照
『コノスルで辿る「プレミアムワイン」産地とその将来』自由が丘ワインスクールセミナー
『チリワインは何故日本市場で成功したか』桜井悌司
"The Chilean wine industry: new international strategies for 2020" Christian Felzensztein
"State of the Wine Industry Report 2019"
"A Chilean wine cluster? The quality and importance of local governance in a fast growing and internationalizing industry" Evert-Jan Visser
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