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日本における西洋料理の導入






ノンアルコールをはじめとしたレストランにおける飲料を語るうえで欠かせないのが、西洋料理。


今では一般的なビールやワインやスピリッツも1世紀もさかのぼれば、まだまだ日本人にはなじみのないものであった。


そういった欧米の飲料が日本で普及していくに至った背景を知るためにも、まずは西洋料理という大きなカテゴリーから見ていく。


江戸時代の鎖国以前の日本、開国後の日本、大戦後の日本と時系列的に見ていくことで、いかに西洋料理が流入し、今日まで普及していったかを見ていく。


鎖国前時代の西洋料理の流入

西洋料理の到来は、正確には戦国時代までさかのぼることができる。


1543年の鉄砲伝来から鎖国に入る17世紀前半までのおよそ1世紀の間にポルトガルやスペインの商人による南蛮貿易によって、大航海時代を通じて西洋に流入してきた新しい食材が日本にも入ってきた。


この時期に、新大陸で発見された食材や香辛料が日本に入ってきたが、日本の食文化を変えるほどの影響力はなかった。


その原因の一つは、輸入の規模と食習慣の違いといえる。


そもそも、日本の食文化を変化させるほどの量が輸入されなかったのは、想像に難くない。

さらに、南蛮貿易においては交易窓口も絞られており、広い認知を獲得することは難しかった。


もう一つが、文化の違いである。一部郊外地域では、肉食は存在したものの仏教において禁止されていた肉食が一般民衆に受け入れられることは当時においてはなかった。


また、17世紀前半から19世紀中ごろまで続く鎖国政策のもとでは、わずかながら西洋食材などの輸入も存在したが、大衆レベルまで普及することはなかった。


開国と西洋料理の流入と普及

200年以上の鎖国を超えて、有名なペリーによる黒船来航がきっかけとなり、開国が宣言されると、少しずつではあるが次第に西洋料理は広まっていった。


大きな要因は鎖国下と異なり、日本の政治のお膝元である横浜港が1859年に開港され、外国人居住地が江戸の目と鼻の先に生じたことに起因する。


居住外国人向けに建てられたレストラン・ホテルには、当初は外国人シェフが招かれたが、そのもとで修業を積んだ日本人が明治時代前後に次第に独立していき、少しずつ西洋料理が浸透した。


時を同じくして、力関係から諸外国と不平等条約を結ばざるを得ない日本において、対等の関係を勝ち取るための富国強兵・文明開化がさけばれた。さらに、1868年に神仏分離令、のちの廃仏毀釈という変化を背景に、西洋料理を普及の足かせとなっていた肉食が公に認められるようになり、レストラン・シェフなどの供給側の発展とともに、消費者側の価値観の変容も進んでいった。


ホテルやレストランに給される西洋料理は、決して大衆向けではなく政財界の大物がパトロンとなっており、客層も当時の上層階級が中心であった。そのような上層階級が顧客の中心となった背景には、食材面・設備面・人材面の問題があった。


►食材面の難しさ


明治期においても、西洋食材は希少かつ高価であり、今日であれば安価な鶏肉やじゃがいものような食材も、品種改良や国内栽培が進んでいなかった当時においては、入手困難な食材であった。


►設備面の難しさ


また調理器具も今日とは雲泥の差があり、今日のようにつまみ一つで簡単に火がついたり消えたり、また弱火になったり強火になったりということもなく、簡単な料理一つ作るにも熟練の技や経験が求められた。


►人材面の難しさ


そのような背景であったから、当然シェフに払われる給与は非常に高く、また一つ一つの作業が非常に困難であった当時は、調理は分業化せざるを得ず、ホテルやレストランは様々な専門シェフを雇う必要があった。



もちろん、牛鍋や喫茶店などを通じて、一般消費者も西洋文化の片鱗を味わうことはできたが、西洋料理の普及には今しばらくの時間が必要であった。


関東大震災と世界大戦という契機

そのような雲の上の存在であった西洋料理の転機となる出来事が、20世紀前半に起きた。


一つ目は、関東大震災である。


これにより日本全体の景気が降下すると、これまで高嶺の花だった洋食を安価に提供する店が出てくるようになり、(実際は西洋料理とは言い難いものが多かったものの、)洋食の大衆化を促した。


もう一つの契機が第二次世界大戦の敗戦である。


大戦を終え、一次アメリカの占領国となるとGHQなどを通じてアメリカ料理が流入してくることとなった。1949年には飲食業の営業が再開され、そこに朝鮮戦争による特需景気が舞い込み、飲食業界を後押しした。


戦後の西洋料理の発展とその後

戦前までは西洋料理というとフランス料理であったが、戦後アメリカ料理とともに1950年にはイタリアンも登場してくる。


1960年代は、海外で修業した日本人シェフが次々に出店し、高度経済成長期の好況にのって飲食業界はこの時期に大きく発展した。1970年代には、今日のファミリーレストランやファーストフードが登場した。


以降、海外の情報がこれまでより早く日本に入ってくることになり、フランス料理、イタリア料理など日本に存在していたそれぞれ西洋料理はアップデートを繰り返し、より高い専門性を帯びていった。


さらに出版業界などのメディア、調理学校のような教育機関が発達していくことで日本の西洋料理は高い水準が保たれ、今日の人気を誇ることとなった。



参照サイト

『日本における西洋の食文化導入の歴史』南 直人

『日本の西洋料理の歴史』

『酒・飲料の歴史』キリンビール

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