ライトビール競争に出遅れた理由——クアーズが1941年に葬った一杯
1941年、アメリカのクアーズ醸造所で、一つの新製品が生まれた。従来のビールより軽く、カロリーを抑えた一杯。名前を「クアーズ・ライト」といった。
だが、この製品はわずか1年で市場から消える。理由は技術的な失敗でも、需要の不在でもなかった。社内の論理だった。
そして同じ名前の製品が再び世に出るのは、36年後の1978年である。

父が、息子の新製品を止めた
当時クアーズには、看板商品が一つしかなかった。
「クアーズ・バンケット」である。創業期に鉱山労働者たちが宴会でこのビールを飲んでいたことに由来する愛称が、そのまま銘柄名として定着したものだ。
この状況で、後に社長となるビル・クアーズが、軽くてカロリーの低い新しいビールを開発しようとした。だが、当時の社長で父でもあるアドルフ・クアーズ2世は、これを歓迎しなかった。理由は明快で、主力のバンケットと競合することを嫌ったのだ。
皮肉なことに、バンケットの当時のキャッチコピーは「America's fine light beer」だった。
ここでの「light」は、現代のような低カロリーという意味ではなく、色が淡く、飲み口が軽いという古い意味での「ライト」である。
だが社内にすでに「ライト」を名乗る看板商品がある以上、もう一つ「ライト」を出す理由は見出しにくかった。
アドルフ2世が経営判断としてバンケットに集中すると決めたとき、この製品の運命は決まった。クアーズ社の公文書管理担当者ハイディ・ハリスは、この一件をこう評している。クアーズが時代を先取りしすぎた、最たる例だった、と。
36年後、慌てて追いかける
時計を進めよう。1975年、ミラー・ライトが全国発売され、爆発的な成功を収める。低カロリービールという市場が、突如として巨大なものになった。(詳細は『なぜ"ダイエットビール"は失敗したのか——価値づけが市場を作った話』)
1978年、クアーズは「クアーズ・ライト」を再導入する。
再導入されたクアーズ・ライトは大成功し、いまや世界有数の販売量を誇るビールになった。ただし、それは1941年の製品とは別物である。
初代クアーズ・ライトのレシピと味の記録は、失われてしまった。
これは、無能さの話ではない
こう書くと、アドルフ・クアーズ2世が近視眼的な経営者だったように見えるかもしれない。だが、それは違う。
クレイトン・クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』で示したのは、優良企業が新しい波に乗り遅れるのは、経営が稚拙だからではないという逆説だった。むしろ逆で、優れた経営をしているからこそ失敗する。
既存の優良顧客の声に耳を傾け、収益性の高い事業に資源を配分し、確実な成長を追求する。
その一つひとつが正しい判断であるがゆえに、新しい芽は組織の意思決定プロセスによって、合理的に拒絶される。
クリステンセンは同書でこう書いている。彼らの失敗の根本原因は、稚拙な経営ではなかった。優れた経営こそが問題だったのだ、と。
アドルフ2世の判断も、当時としては合理的だった。
実績のある主力商品があり、新製品はそれを食い合う可能性がある。経営資源は限られている。主力に集中するのは、経営者として真っ当な選択だ。
問題は、その合理性が、新しい市場が生まれる可能性を見えなくすることにある。
日本のビール業界でも、同じ構図が指摘されている
この構造は、遠い昔のアメリカの話にとどまらない。
日本のノンアルコールビール市場についても、似た分析がなされている。
ビジネスメディアの記事によれば、日本のビールメーカーがかつてノンアルコールに積極的でなかった要因の一つとして、ビール市場との共食いが指摘されているという。ノンアルコールが売れれば、その分ビールが売れなくなる。それを恐れて、大きな投資をしてこなかった、という見方だ。
また別の指摘もある。1980年代の日本のノンアルコール市場は年間数十万ケース程度の規模だった。一方、キリンはラガー1銘柄で年間1億ケースを動かしていた。この規模の差では、参入する経営上の意味が乏しい——という分析である。これはまさに、クリステンセンが指摘した「新市場は当初小さすぎて、大企業の成長需要を満たさない」という構造そのものだ。
キリンが動いた理由
転機は2007年だった。
飲酒運転による事故が社会問題化し、道路交通法が改正されて罰則が大幅に強化された。
運転者だけでなく、同乗者や酒類の提供者も処罰の対象となった。
キリンビールは同年、ノンアルコールビールの開発に着手する。
同社の担当者は、その動機をこう語っている。飲酒運転が大きな社会課題となるなかで、酒類メーカーとしての社会的責任を果たすため、有効な選択肢の一つとしてノンアルコールビールの開発を始めた、と。
2009年に発売された「キリン フリー」は、アルコール0.00%を実現した世界初のビールテイスト飲料となった。
一方で、外部の分析はこうも指摘する。キリンは1998年にビール市場の首位をアサヒに奪われ、2001年には自ら敗北を認めてチャレンジャーとしての立ち位置を宣言していた。守るべきものが相対的に小さかったからこそ、共食いのリスクを取る決断ができたのではないか、と。
どちらも、この出来事の一面を捉えているのだろう。確かなのは、キリンフリーの成功後、他の大手各社が一斉に追随し、日本のノンアルコールビール市場が本格的に立ち上がったという事実である。
合理的だからこそ、見えなくなる
クアーズが36年を失ったのは、判断が愚かだったからではない。合理的だったからだ。
既存の主力商品を守る。実績のある事業に資源を集中する。まだ小さい市場には手を出さない。どれも、経営として正しい判断に見える。そして実際、多くの場合は正しい。
問題は、その正しさが、新しいカテゴリーが育つ可能性そのものを視界から消してしまうことにある。
そして厄介なことに、この判断が間違いだったと分かるのは、他社が成功させた後だ。
いま、飲料の世界では新しいカテゴリーが次々と生まれている。
ノンアルコール、微アルコール、機能性飲料、クラフトの各分野。それぞれの芽が、どこかの会議室で「既存事業と食い合うのではないか」「市場が小さすぎる」という、合理的な理由によって摘まれていないだろうか。
クアーズの36年は、他人事ではない。
参考資料




